アレックス・モールトン博士の経歴 Dr.
Alex Moulton |
モールトン博士の祖父、ステファン・モールトンは、一時期アメリカに暮らしていました。この時ニューヨークで知り合ったのが、チャールズ・グッドイヤーです。(有名なゴム、タイヤメーカーの創始者)
イギリスに戻った彼は、グッドイヤーの製品を英国内で売ろうと試みますが、うまく行きません。そこで、自分でゴム製品を製造販売しようと決意、工一ポン社を設立します。この事業は大成功で、工一ポン社は英国ゴム産業の中心になって行きます。
モールトン博士の発明、研究の多くがゴムを利用したものであることが、この家系によっているのは間違いありません。
しかし、あまりにも独創的なこの自転車に対し、世間や自転車業界の一部に根強い偏見や誤解があるのも事実です。これを打破するためモールトン自転車は、積極的にレースや世界記録にも挑戦し、いくつかの輝かしい記録をうちたてました。また英国工業界を代表するエンジニアとして ☆1976年のCommander of British Empire ☆1980年のFellowship of Engineering という名誉ある叙勲をはじめ、博士はその技術者、学者としての栄誉を称えられ、数々の賞を獲得しています。 人間の営みの中でも「モノを作り、仕組みを考案し、改良して行く」エンジニアリングというものに最大の関心を寄せる博士はまた、「良質なエンジニアを育てるためには、現代の子供たちへの教育はどうあるべきか」といった問題についても考えているそうです。 1994,1996年秋の来日の際には、自動車、自転車の関係者のみならず、多くのモールトンファンと語り合い楽しい時をすごしました。
モールトン博士の趣味はドライブ、サイクリング、カヌー、射撃と多才です。 |
| 自動車の経歴 | 自転車の経歴 | ||
|---|---|---|---|
| 1920年 | 4月9日空まれ、父はジョン・モールトン、理学博士 | 1956年 | スエズ危機による石油不足により、自転車を交通手段として見直すが、従来の自転車の形態に疑問を持つ。 |
| 1933〜1938年 | マールボロウ・カレッジ在学。休日には自らの設計になる蒸気自動車を作る。旋盤を学校に持ち込み、金属工作室を作る。ケンブリッジ大学科学優等試験に合格。38年夏センチネル社で蒸気機関の実践技術を身につける。 | 1956〜1960年 | モールトン・デベロブメンツ社内に自転車試作のための設備を導入。「改良型自転車」の研究に入る。当初から、サスペンション付・小径ホィール型が考えられ、以後一貫してこれがモールトン自転車の特徴となる。 |
| 1939年 | 英国空軍技術将校に志願。ブリストル飛行機会社にて、招集まで実務経験。フィンランド向けブレンハイム爆撃機の冷間始動の問題に取り組む。 | 1962年 | 自邸敷地内に、モールトン・バイシクル社を自己資金にて設立、様々なプロトタイプを経た後、 製造開始。ロンドン、アールズコートショーでデビュー、大反響。製造・組立ては、当初自社内で行ったが、のちにBMCグルーブのカービー社が行った。以後10万台以上のモールトン型自転車が作られ、世界中に輸出される。デビュー直後、カーディフ⇒ロンドン間約260kmのタイムレコードを塗りかえた。 |
| 1940年 | ロイ・フェデン卿とともに、18気筒ケンタウロスエンジンを開発。 | 1965年 | 英国最大の自転車メーカー・ラーレー社が、モールトン風の粗悪な類似品を売出し、モールトンのイメージを大いに損なう。 |
| 1942〜1944年 | 英国軍研究開発部門 | 1967年 | ラーレー社にモールトンの名前を売り、粗悪でない商品を「ラーレー・モールトン」 として開発し、販売。モールトン博士は、ラーレー社の顧問となる。 |
| 1945〜1947年 | スペンサー・モールトン・ラバー社にて工場長。個人的に構造力学と機械工学の勉強を続ける。 | 1974年 | ラーレー社モールトン型自転車の製造を中止。 |
| 1947〜1949年 | ケンブリッジに戻り、短期エンジニアリングコースに学ぷ。首席で卒業。 | 1975〜1983年 | 現行の三次元フレーム、AM型を全く新しく研究、ラーレーでの大量生産が結果的に安物イメージにつながってしまったことを踏まえ、あえて高品質・手造り少量生産のポリシーをとることにする。 |
| 1948〜1956年 | スペンサー・モールトン社技術重役。同社に開発研究部門を設立。自動車のサスペンションにゴムを使用する件に関して、29のパテントを取得、新しい仕事の基礎とする。アレック,イシゴニス卿と共同研究を開始。 | 1983年 | 自邸敷地内に、全ての自転車製造組立てが可能な小工場を設立し、AMシリーズの生産を開始。ラスベガス・ショーで、10年間のプランクをおいての復活デビューを果たす。 |
| 1956年 | スペンサー・モールトン社を工一ポン社に売却。自邸敷地内にモールトン・デベロプメンツ社を設ける。BMC社(British Motor CorporrationのちのBritish Leyland)に技術供与開始。製造は、大手ゴムメーカーのダンロップ社。 | 1986年 | カナダ・バンクーバーにて、時速82kmの速度世界記録を樹立。 |
| 1959〜1967年 | オースチン・ミニのラバーコーン・サスペンションやモーリス1100/1300のハイドロラスティック・サスペンションを開発。ダンロップ社にて、毎週12,000セット以上製造という大ヒットとなる。 | 1988年 | アメリカ大陸横断レースにて、35台中8位の成績を収める。日本において、通産省グッドデザイン賞を受賞。 |
| 1967〜1969年 | BMC社の依頼で、大型車(トラック等)の新しいサスペンションを研究。「モールトン・タプルボギーバス」を試作する。この車は、1986年のMlRA(英国自動車工業研究協会)の「乗り心地とハンドリングの基準」設定用に採用された。現在この車は、サイエンス・ミュージアムに 展示されている。 | 1990年 | 量産型・普及版の構想を練る。 |
| 1970〜1982年 | BMCアレグロ、マキシ、プリンセスなどの乗用車用にダンロップのスポンサーのもと、新しい「ハイドラガス・サスペンション」を開発。(液体とガスを利用したシステム)バス大学において基礎研究、またモールトン・デベロブメンツ社において実験を繰り返し、液体を利用したサスペンション の理論と実用化案をまとめる。 | 1991年 | 航空機用ステンレス極細バイプを使用した最高級モデル「GT」デビュー。 |
| 1983年 | ダンロップ社との契約終了。モールトン・デベロブメンツ社は、閉鎖後売却される。 | 1992年 | パシュレイ社にて、量産型「モールトンAPB」のライセンス生産を開始。 |
| 1987年 | 自身の乗用車・メトロを改造し、ハイドラガス・サスペンションを取りつけ、ローバー社に同社の「メトロR−6」にこのサスをつけるよう説得。 | 1993〜1994年 | 「スピードS」、「トライアスロン」モデルを次々と発表。 |
| 1992〜1993年 | ローバーグルーブにて、サスペンションを研究。 | 1996年 | 世界的な小径車ブームの中で時代を40年先取りしているモールトンが脚光をあびる。 |
| 1995年 | ローバーMGFにモールトン設計によるハイドラガス・サスペンションの採用。 | 1998年 | フロントに「フレクシター」、リアに「ハイドロラスティック」と呼ばれる独創的なサスペンションを採用した、ニューシリーズ・モールトンを発表 |
| 2000年 | ニューシリーズ「パイロン」を発表。モ博士80歳記念モデルFX80発売。ブリジストンモールトン販売開始。 | ||
| 2001年 | AM‐18発売開始。 | ||
(2001/11/26)